掛け軸修理(修復)について

大切な掛け軸を後世へ:修理(修復)の基本と工程

掛け軸は、時代を超えて大切に受け継がれていく貴重な文化財です。適切な修理(修復)を施すことで、その寿命を延ばし、次の世代へと繋げることができます。 
当工房では、まず現在の掛け軸を丁寧に解体し、作品(本紙)を補強している表装材から分離します。次に、取り出した作品自体の損傷(破れ、虫食いなど)を専門的に修復。その後、新しい材料を用いて掛け軸として再仕立てします。
この工程で最も重要視しているのは、将来の再修理を安全に行うことです。剥がしにくい接着剤や劣化しやすい和紙を使用すると、次回の修理が困難になり、最悪の場合、作品そのものの寿命にも影響を及ぼしかねません。そのため、最適な材料と伝統的な工法を選び、将来にわたって修理可能な状態を保つことを目指します。

仏画 掛け軸修理前
仏画 掛け軸修理前
仏画 掛け軸修理後
仏画 掛け軸修理後
書 掛け軸修理前
書 掛け軸修理前
書 掛け軸修理後
書 掛け軸修理後

 

修復による外見の変化と当工房の基本方針

修理(修復)の基本方針は、作品のオリジナル(原画)部分を尊重し、保存することです。そのため、汚れを漂白して真っ白にしたり、欠けている部分に新たに絵や文字を加えて見栄えを良くしたりするような、過度な加筆や改変は行いません。
これは、本来の作者の意図を損なわないためです。時間が経って欠けてしまった部分に、後から絵や文字を安易に加えることは、作品が持つ本来の表現とは異なるものになってしまいます。作品の現状維持と保存性の向上を最優先に考え、将来にわたる作品の価値保持に努めています。
ただし、修理方針は格表具工房によって異なる場合がありますので、他社にご依頼される際は、具体的な修理内容について事前に確認されることをお勧めします。

修復事例:絵画作品の場合

仏画修理前
A 修理前
仏画修理後
B 修理後
仏画修理前
C 修理前
仏画修理中
D 修理中
仏画修理前
E 修理後

A 修理前
虫穴や前回の修理痕などの損傷が目立ち、絹に描かれた部分全体が劣化し、このままでは保存が難しい状態でした。
B 修理後
外見上の大きな変化は少なく見えますが、作品の保存性が向上し、後世へと伝えることが可能になりました。
C修理前
横に多数の折れや絵の具の剥落が見られます。画像では分かりにくいですが、過去の修理跡や和紙の補填跡も多数確認できます。
D修理中
前回の修理で補填された和紙を取り除き、新たに和紙を補填した状態です。補填した和紙の色が白いため、画面に一時的な違和感が生じています。しかし、横の折れや絵の具の剥落などの損傷は解消されました。
E 修理後
白い補填部分の違和感を和らげるために**補彩(色を補う作業)**を施しました。この場合、修理後は一見、劇的な変化が感じられないかもしれませんが、よく見ると、補填部分と原画部分との区別が分かるように仕上げています。

 

絵画作品の拡大修復例

仏画修復 拡大
1.修理前
仏画修復 拡大
2.修理前

ライト照射

仏画修復 拡大
3.修理中

裏面の画像

仏画修復 拡大
4.修理中

裏面の画像

仏画修復 拡大
5.修理後

1修理前・・・細かな傷や横折れが目立ちます。
2修理前・・・下からライトを当てると、以前の修理で補填した和紙(濃い四角部分)がはっきりと見えます。
3修理中(裏面)・・・前回の補填を取り除いた状態です。白い部分はまだ和紙が貼られていない箇所を示します。
4修理中(裏面)・・・欠損した部分に新たに和紙を補填しています。
5修理後・・・補彩を施し、損傷部分が目立たなくなり、全体の違和感がなくなりました。

修復事例:書作品の場合

書 修理前
修理前
書 修理中
修理中
書 修理後
修理後

修理前・・・損傷がひどい状態の作品です。強い横折れ、以前の修理痕、虫穴が目立ちます。
修理中・・・損傷した箇所に新しい和紙を補填しました。この補填により、以前は気づきにくかった損傷が鮮明になりました。ただし、補填した和紙の色が白いため、画面全体に違和感があります。横折れは改善されました。
修理後・・・違和感を軽減するために補彩を施しました。補彩後は一見わからないように見えますが、よく見ると補填箇所の違いがわかります。

書作品の拡大修復例

書 修理前
1 修理前
書 修理前
2 修理前ライト照射
書 修理中
3 修理中
書 修理後
4 修理後

1 修理前・・・周囲よりも色が濃い箇所は、以前補填した和紙の変色です。この部分が濃くなると、シミができたように見えます。
2 修理前(ライト照射)・・・下から光を当てると、見えにくかった補填部分が浮かび上がります。
3 修理中・・・補填した和紙を新しく取り替えました。この時点では和紙の色が白く、違和感があります。
4 修理後・・・違和感を軽減するために補色を施しました。文字部分にはオリジナルとの区別をつけるため、補彩で単色を加えました。虫食いで文字が欠けた部分はそのまま残しています。

修復が必要な主な損傷の種類

掛け軸は巻いてコンパクトに収納できるため、紫外線や湿度の影響を受けにくく、作品を長く保存できます。
ただし、巻くという構造上、横折れなどの損傷は避けられないという欠点があります。
また、経年により劣化や糊浮きが生じることがありますが、これらは掛け軸にとって自然な現象です。
しかし、これらの症状は修理が必要なサインでもあります。適切な修理を行うことで、掛け軸をより長く保存し、後世に伝えることができます

掛け軸の損傷
和紙の剥落
掛け軸の損傷
絵具 剥落
掛け軸の損傷
虫損
掛け軸の損傷
掛け軸の損傷
掛け軸の損傷
糊浮き

・糊浮き:掛け軸の裏打ち和紙を接着している糊が、経年により接着力を失い、和紙が剥がれてしまう現象です。

 

・絵具の剥落:剥落してしまった絵具を元に戻すことは困難ですが、それ以上の剥落を防ぐためには早急な修理が必要です。

 

・虫穴:虫食いによってできた穴は、掛け軸を貫通していることが多く、根本的な修理が求められます。

 

・掛け軸全体の損傷:作品の損傷状態を総合的に考慮し、新たな掛け軸に仕立て直すか、修繕を行うかを判断します。

 

当工房の主な修理作業

作品を裏面から接着して支えている和紙は、裏打ち紙と呼ばれます。
その裏打ち紙を適切な時期に交換することで、作品を支える期間を長く保つことができます。
また、裏打ち紙を剥がす修理の際に、虫穴や横折れといった他の損傷も併せて改善することが可能です。

裏打ち和紙の取り換え

和紙にも製造過程で薬品が使用されています。保存性を重視し、なるべく薬品使用されていない和紙を使用します。

補填

和紙や絹で損傷の穴を埋める作業です。

横折れ改善

巻いたときに生じた横折れを、裏面から細い和紙を当てて補強します。

補彩

補填した部分が白く目立つ場合に、違和感を軽減するために単色で補う作業です。

 

洗浄による変化と当工房による考え方

作品を洗浄することで、多くの方が綺麗になることを期待されるでしょう。
これは一般的に「シミ落とし」や「掛け軸の洗い」として知られています。
表具店に依頼し、実際に綺麗になった経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
確かに、綺麗になることで見栄えは向上し、ご依頼者にとって汚れを取り除くことが重要な場合があるのは理解できます。
しかし、注意すべき点として、綺麗にすることを目的とした薬品漂白という方法が考えられますが、これには将来的な変色や、過度な白さによる時代感の喪失といった欠点があります。特に和紙の場合、薬品の使用による繊維への損傷が懸念されます。
文化財級の掛け軸においては、見栄えよりも保存が優先されるため、薬品漂白は行われず、水による洗浄が選択されます。
水洗いによる洗浄では、必ずしも白く美しい仕上がりになるわけではありませんが、作品が持つ本来の時代の風合いを保つことができます。

水によるシミの場合

掛け軸が水濡れにより跡が残ってしまった状況です。
水に濡れてから間もない状態であれば、水洗浄で比較的容易に綺麗になる可能性があります。しかし、濡れたままの状態で時間が経過すると、完全に跡を取り除くことが難しくなります。
また、ハエの糞をはじめとする付着物による跡は、水洗浄だけでは残ってしまうことがあります。水洗いでは除去が困難で、鑑賞の妨げになるような跡に対しては、作品の状態を慎重に考慮した上で、部分的に薬品漂白を検討します。ただし、薬品は繊維を損傷させる可能性があるため、細心の注意を払いながら使用する必要があります。

洗浄前 A
洗浄後 B
洗浄後 C
洗浄後 D

・洗浄前の状態 A:水シミが目立ちます。
・洗浄後の状態 B:水洗浄により、水シミが効果的に綺麗に落ちました。比較的珍しいケースと言えます。
・洗浄前の状態 C:時間が経過した水シミは、水洗浄だけでは落ちにくいことがあります。
・洗浄後の状態 D:水シミが若干薄くなった程度です。これ以上薄くするには、薬品の使用を検討する必要があります。

水洗浄でシミが落ちない例

保存性を優先し、強い薬品使用など、過度な洗浄を避けた場合です。

洗浄前 1
洗浄後 2
洗浄前 3
洗浄後 4

・洗浄前 1:絹に発生したシミ
・洗浄後 2:ほとんどシミに変化は見られませんでした。
・洗浄前 3:全体に薄いシミが広がっています。できれば水洗浄のみで除去したいと考えています。
・洗浄後 4:ほとんどシミに変化は見られませんでした。

茶褐色のシミの場合

まず、水のみを用いて一部分の洗浄を試みましたが、シミはわずかに薄くなった程度でした。
もし、さらにシミを薄くすることを希望される場合は、薬品を使用する必要があります。
薬品はシミのある箇所に限定的に使用し、その後、水で丁寧に洗い流して薬品成分の残留を防ぎます。
しかしながら、今回の処置では完全にシミを除去することはできませんでした。

洗浄前

多くの茶褐色

水洗浄後

先ずは水のみで洗浄

薬品洗浄後

さらに薬品で洗浄

絵具の中にシミがある場合

絵具の中にシミなどが生じている場合、単純に水を注いで洗い流すことは絵具層にダメージを与える原因となります。
特に絵具と絹の接着面は剥落しやすいため注意が必要です。このようなケースでは、絵具と絹を繋ぎ止める膠(にかわ)成分を補給しながら、その水分を利用して洗浄する方法を採用します。
具体的には、機械のサクションテーブル上で、上から膠水溶液を少量ずつ与えつつ、下から水分を吸引する手法を用います。

過去の修理に見る加筆・改変について

掛け軸の作品は、修理を繰り返すことで現在まで伝えられてきました。一般的な修理の頻度は70年から100年に一度程度ですが、中には江戸時代から一度も修理されず、大きく傷んでしまっているものも存在します。
一方で、昭和後半に制作された作品であっても、その品質によっては修理を必要とする場合があります。
寺院に伝わる仏画の中には、数百年という長い年月を経たものもあり、その過程で数回にわたる修理が施されてきたと考えられます。過去に行われた修理においては、見た目の美しさが重視されるあまり、欠損した部分に新たな絵が描き加えられるといった事例が見受けられます

加筆 1
加筆 2

赤い丸で囲んだ部分が加筆

文字切れ
文字消し

・加筆 1:左側の赤い部分は、後から追加された箇所です。波模様が丁寧に描き込まれており、一見しただけでは気づきにくいかもしれません。現代の修復においては、このような過度な加筆は行わない方針です。
・加筆 2:左側の円で囲まれた部分が加筆箇所に該当します。注意深く見ても、すぐには判別が難しいでしょう。
・文字切れ:文字切れは、古い曼荼羅にしばしば見られる損傷です。このように、作品描写の一部を安易に切り取ることも、現在の修復方針では避けるべき行為とされています。今回の修理では、和紙を継ぎ足して表装を行います。
・文字消し:意図的に文字が消された痕跡が見られます

掛け軸の修理例

作品の内容や大きさによって、掛け軸の種類があります。(画像をクリックして詳細をごらんください)

 

修理に関するよくある質問

掛け軸の修理に関して、よくいただくご質問とその回答をまとめました。

掛け軸・表具(屏風・巻物・和額)を修理する時期について

掛け軸には、傷やシミ、絵具の剥がれによって鑑賞や展示が難しくなる場合があります。また、掛け軸自体が硬直して広げることができなくなり、修理が必要になることもあります。和額(欄間額)に関しては、文字や絵の一部が剥がれたり、エアコンの急激な湿度の変化で亀裂が生じたりすることがあります。 これらの症状は放置すると損傷が進行し、回復することはありません。早めの修理が必要です。特に礼拝に用いる掛け軸(曼荼羅、仏画、ご神号)の場合は、宗教行事に合わせて修理が行われることもあります。また、最近では世代交代の際に相続した掛け軸を修理するケースも増えています。

修理することで絵や文字が復元されますか。

修理や修復に対する考え方は、表具師によって異なります。確かに、欠損した部分に絵や文字を追加することで見た目が良くなり、満足感を得られることもあります。
しかし、当店ではオリジナルな部分に手を加えず、欠損した所は地色の単色で補修し、違和感を抑える方針を取っています。

掛け軸の洗いや古書画の洗いは、きれいになりますか。

薬品漂白を使えば掛け軸は綺麗になりますが、いくつかの懸念事項があります。過マンガン酸などの薬品を使うと漂白できますが、その結果として将来に問題が生じる可能性があります。 作品が真っ白になることで作品が持つ時代的な風合いが失われ、環境によっては再び変色が起こるかもしれません。
また、和紙繊維への損傷が生じ、保存の問題が生じる可能性もあります。 当店では保存性や風合いを考慮し、水だけを用いた洗浄を優先しています。ただし、鑑賞の障害や要望がある場合には、軽い薬品漂白を行うこともあります。結果は少し薄くなる程度です。

掛け軸は傷んでいませんが、作品のみが傷んでいます。作品だけ修理できないでしょうか。

通常はできません。作品は、掛け軸と一体になっていますので掛け軸から、作品を取り外さなければ修理できません。作品のみ修理して、掛け軸に再表装しないことは可能です。

掛け軸の一部だけが、傷んでいます。そこだけの修理は可能ですか。

傷んでいる部分により、処置法も変わります。
・紐のみが切れている場合:新しく取り付けます。
・軸首が取れている場合:そのまま付けることもできますが、軸棒から取り替えることになる可能性もあります。
・掛け軸の裂(きれ)が損傷してる場合:全体を調査し、最適な対応を判断します。

作品の修理後(修復後)に、掛け軸から額装に変更したいのですが。

掛け軸から額装に変更できます。
額装の短所としては、巻いて保存しない代わりに常に紫外線に曝されるので、劣化が早くなる短所があります。(当店では、紫外線カットアクリルガラスも使用しますが、将来の影響についてのデーターはありません。)
長所としては、エアコンなどによる急激な室温変化の影響が少なく、現代の住環境により適した形で作品を飾ることができます 。